秋葉寺歴代住職の墓

歴代住職の墓は、廃仏毀釈の前に秋葉山にあった「大登山秋葉寺(しゅうようじ)」の歴代住職の墓です。 第一駐車場からほどない距離ですので、ぜひ一度は見に行かれてください。


歴代住職の墓は、秋葉神社の第一駐車場から神社に向かって、(階段道ではなく)坂道のほうを登りきったところから、左手にある細道を登って西へ進んだところにあります。

静岡県歴史の道「秋葉街道」(静岡県教育委員会編)より抜粋します。

秋葉寺歴代住持の墓
秋葉寺第二五世通峯光達をはじめとする歴代住持1)の墓である。
秋葉山頂より西側の尾根上、戸倉へと下る秋葉道2)の傍らにある。 墓所の正面に卵頭形の墓が並び、形の異なる光達以下二七代までのものは、その右手にある。 形の相違は真言密教から曹洞禅へと宗勢が移っていった経緯を物語るものと考えられる。

かつて秋葉山には、大登山秋葉寺(しゅうようじ)という、神仏混淆の寺院がありました。秋葉寺は701年(大宝元年)に行基が開いたと言われています。(この創建時期には、諸説があるようです。)


歴代住職の墓(場所)

秋葉寺は、戦国時代までは真言密教寺院でしたが、戦国時代に戦乱でいったん荒廃し、それを、徳川家康と関係の深かった茂林光幡3)が、復興させました。 

寛永2年(1625年)に、徳川幕府は、秋葉寺を曹洞宗可睡斎4)の直末寺院とし、真言密教から曹洞宗へ宗旨替えを行ないました。

以降、秋葉寺は、次第に勢いを盛り返し、江戸時代中期~後期には、秋葉信仰が全国的に大流行しました。 

静岡県発行「秋葉街道」に書かれている真言密教から曹洞禅へと宗勢が移っていった経緯というのは、(非常に大雑把な説明ではありますが)上に述べたような経緯を指しています。 

慶応4年(1868年)の神仏分離・廃仏毀釈によって、大登山秋葉寺は「住職の居ない寺」という理由で、明治6年(1873年)廃寺となりました。


秋葉寺歴代住職の墓

それまで秋葉寺があった場所には、火之迦具土大神を祭神とする神道の秋葉神社がおかれました。 秋葉寺にあった本尊や、仏像・仏具の主なものは袋井の可睡斎に運ばれ、残りは廃棄されました。5)

明治13年に秋葉寺は再建を許されましたが、すでに山頂には秋葉神社が鎮座されていたため、現在地の表参道中腹、杉ノ平に再建されました。

このような経緯によって、秋葉寺歴代住職の墓は、現在の秋葉寺の場所からはずいぶん離れて、秋葉神社の敷地内に遺っています。 

また、墓石の形ですが、まるい卵型の石は卵塔(らんとう)といって、禅宗6)の住職の墓だそうです。

歴代住職の墓を訪れた際には、ぜひ墓石の形や刻まれた文字にも注目して、昔に思いをはせてみてください。

脚注

1)住持、住持職、住職は、どれも同じ意味です。「別当」も、寺院における別当は寺務を統括する長官に相当する僧職のことで、おおむね同じ意味です。(

2)「戸倉へと下る秋葉道」は、秋葉山から戸倉集落を経て天竜川を渡り西川(さいがわ)集落に出る参詣道の事です。戸倉古道(西川古道)は、江戸からの東の「表参道」に対して、「裏参道」とも呼ばれています。 この道は鳳来寺を経由して御油(ごゆ)で東海道に合流できるため(鳳来寺をお参りできることに加え、鳳来寺道が、新居関・気賀関のどちらの関所も通らずに東海道に合流できることもあって)江戸時代末期の秋葉山参詣が盛んだったころには、とても人気のあるコースでした。御油宿は、現在の愛知県豊川市御油町。東海道五十三次の宿場のひとつがおかれていました。(

3)茂林光幡は徳川家康と縁が深かった僧で、家康のもとで交渉や諜報のような活動をしていたと言われています。その後光幡は秋葉山の別当に任じられ、戦乱で荒廃していた秋葉寺の復興に尽力したとされています。現在、浜松市三組町にある秋葉神社は、この光幡が住持していた叶坊(かのうぼう)があった場所といわれています。(

4)可睡斎は袋井に現存する曹洞宗の寺で、徳川家康と縁が深かったため、江戸時代に大きく発展しました。江戸時代前期より、秋葉寺は可睡斎の末寺であるとされ、明治維新後、秋葉寺が廃寺となった際には、秋葉権現などの本尊をはじめ、仏像・仏具や奥の院の建物等が、可睡斎に運ばれました。現在でも、可睡斎には秋葉権現が祀られ「秋葉総本殿 可睡斎」を掲げています。可睡斎は座禅の修行や学校の宿泊行事等の活動を行なっていますので、ここに泊まった経験をお持ちの方も多いと思います。(


谷に捨てられていた仁王像

5)現在の秋葉寺には、明治時代初期の廃仏毀釈の時、壊されて谷底に廃棄された仁王像の頭の部分が保管されています。 右の写真がその仁王像です。12月の火祭りの時には是非、秋葉寺へ行って、見せてもらってください。(

6)曹洞宗は禅宗の一派です。禅宗には曹洞宗以外の、他の宗派もあります。(

参考文献

・中村育男翻刻,「掛川誌稿」
・藍谷俊雄,「三尺坊」
・静岡県教育委員会,「静岡県歴史の道 秋葉街道」

(近藤饒)

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