光明山登山地図

よみがえれ秋葉古道の会


秋葉山の火防信仰が盛んになった江戸時代後期のころ、光明山は「水の神さま」として信仰されていました。秋葉山は火難避け、 光明山は水難避けとして、両方にお参りすることが盛んに行われました。 ふたつの霊山を一緒にお参りすることで、 より一層のご利益を期待するという意味で「両参り」とか「ついで参り」と称されていました。

1.光明山への登山道

この両参りや、各集落間行き来の生活道としても用いられた光明山・光明山遺跡への登山道の主なものは次の8本があります。これらの道は(EFを除いて)現在でも光明山・光明山遺跡へ登る登山道として利用されています。

@麓橋古道(中級)
A只来古道(上級)
B横川古道(初級)
C横川お目たで池古道(中級)
D長沢古道(中級・おいだいら入り口バス停利用)
E秀珍林道経由松間古道(上級)
F松間古道(不明瞭多数箇所および急坂のため熟練者限定)
G佐久古道(中級) 

光明山・光明山遺跡への段階的なハイキングとして、もし難易度をつけるとすれば、次のような順番になります。(易⇒難の順番で並べます)
・横川古道B
・麓橋古道@
・長沢古道D
・横川おめたで池古道C
・佐久古道G
・只来古道A
・松間古道F

道が不明瞭で難易度が高い道は、地図に赤色の点線で表現してあります。実線の道は明確なハイキング用の道ですので、初めて光明山に行かれる方や読図に自信のない方は、まずは上にあげた順番で、実線で描かれた道から歩いてみてください。

◎林道は林道工事・林業作業の車が通ります。もしやむなく林道の空きスペースに駐車して山を歩く場合は、他車が通れるスペース、反転場所としても使えるスペースを考えて駐車するよう、こころがけてください。

地図のダウンロードへ↓

2.おすすめコース

光明山のおすすめハイキングコースを紹介します。 
もっとも多く利用されているのは横川古道B、次に麓橋古道@のピストンではないかと思います。 周回ルートもご紹介しますので、各コースのピストンに慣れてきたらふたつの道を組み合わせて周回して歩いてみられるのも楽しいと思います。

(1)横川起点の2つの道(横川古道・横川お目たで池古道)

◆横川古道Bは、もっとも多く利用されている道のひとつでしょう。道もしっかりしていて道標も多くおすすめです。 横川古道の丁目石はとてもよく残っています。 取付が二丁目、数えながら登って、かつての光明寺の伽藍跡である光明山遺跡(山頂広場)まで、全二十七丁の道のりです。(取付口に「山頂まで約40分」と書いてありますが、1時間以上はかかります。)

横川古道登山口には、「第二丁目」の町石があります。 登山口なのにどうして「二丁目」なのか?。 浜松市天竜区にお住まいの塩崎俊雄氏に、その理由を教えていただきました。塩崎氏の許可を得ていますので別ページにてご紹介させていただきます。 

◆横川お目たで池古道Cには道標が少ないので、横川古道Bより道の難易度は難しくなりますが、特に危険な箇所はありません。 このコースの目玉は「お目たでの池」です。 昔、徳川家康が目をわずらったとき、お告げによりこの池の水で目を湿布して治したと伝えられています。小さな池ですが涸れたことがないそうです。池の由緒を書いた説明板が林道沿いに建っています。登山口は看板の脇の細い橋を渡った所から登ります。

この二つの道は道の駅「いっぷく処横川」に車を停めて歩けるという利点もあります。

◆光明山南部周回ルートは「いっぷく処横川」を起点として、 お目たでの池C〜光明山遺跡〜横川古道Bというふうに周回するハイキングコースです。 只来古道Aを加えて一周することもできます。(只来古道Aは、道標がほとんどなく、難易度がたかいですので、その点は注意してください)

(2)麓橋〜光明山〜長沢古道

この縦走ルートは、むかし秋葉参詣道のサブルートとして盛んに歩かれた道です。

幕末から明治にかけて活躍した探険家 松浦武四郎(彼は蝦夷地を探査し、「北海道」が命名される基となった「北加伊道(ほくかいどう)」という地名を新政府に提唱したほか、 死の前年まで日本全国を歩き続けた探検家でした)は「東海道山すじ日記」に、光明山を歩いた記録を記しています。松浦武四郎は、長沢古道D〜光明寺〜麓橋古道@というルートを歩きました。 

松浦武四郎が歩いた「東海道山すじ日記」のトレースは、掛川市にお住まいの広谷良韶氏が2012年に詳細な踏査をされて、 その記録を彼のHP「広谷良韶のページ」に載せておられます。 たいへん丁寧に踏査された記録です。ぜひご覧になってください。

◆松浦武四郎が歩いたコースを逆に、麓橋古道@〜長沢古道Dと歩く縦走ルートは、毎年11月に秋葉ウォークと称して参加者を募り、ハイキングを開催しています。興味のある方にはご案内を送りますので、是非ご参加ください。

(3)周回ルート

光明山南部周回ルートは、上にも記載した横川お目たで池古道C〜光明山〜横川古道Bの周回ルートです。

光明山西北部周回ルートは、佐久古道Gと一部の林道も使って、稚児の滝、光明山遺跡、鏡岩を含み、ぐるっと周回して歩くことができます。

◆健脚な方は南北両方のコースを使って8の字のように歩く事もできます。これはロングコースになり、早朝出発は必須ですが、トレランや縦走前のトレーニングにも利用できると思います。

3.光明山遺跡(山頂広場)

光明山遺跡(山頂広場)は、かつてそこにあった光明寺の大伽藍跡です。山頂にあった光明寺の大伽藍は1931年(昭和六年)の大火により焼失し、その後1935年(昭和十年)に寺は現在地の山東に移転しました。 
光明山遺跡からの展望は抜群で、浜名湖をはじめ、太平洋まで広がる平野部と蛇行する天竜川が見渡せます。ベンチと無料の望遠鏡があります。

光明山遺跡および北西にかけた地域には、16世紀末には光明城がおかれており、武田、徳川の争奪戦もありました。現在も土塁跡などが残っています。 
このほかにも山頂付近には見どころがたくさんありますので、「山頂付近図」を参考に、どうぞゆっくり散策してみてください。

(※休憩舎に併設のトイレは使用できないこともありますので、ご注意ください)

4.行場

光明山には、古い時代に行場(ぎょうば)として使われていた山域があります。修験が遠州の山々を歩きまわっていた時代は、火防の秋葉信仰が流行するよりもさらに昔のことでした。
かつての行場のうち、下記の(イ)と(ロ)は比較的安全に行けますし、感動的でおすすめです。是非行ってみてください。

(イ)鏡岩(雄大な一枚岩。この岩の前に、かつては光明寺の奥の院がありました。昭和6年の火事で消失を免れた奥の院の建物は、山東にある現・光明寺の奥の院として移築・再建されており、摩利支天が祀られています。) 

(ロ)稚児の滝(稚児の滝は山頂からみて西北部、佐久から登る道の近くにあります。 ここは「むかし光明寺にいた稚児が、この滝で修行して後に大成した」という伝説が残っていて、その看板も建っています。)

(ハ)光明山遺跡(光明寺伽藍跡)より北側の一帯
 (上記イ、ロ、ハの三点を結ぶエリア内の岩稜帯にも行場が点在したとする説があります。この地域には巨岩が点在し、 美しいゴルジュや三段の滝があります。)

【注意!】稚児の滝から上流に向かって沢沿い(左岸)に踏み跡がありますが、この踏み跡はだんだん不明瞭になり、やがて消えます。 この道は不明瞭なうえ、荒れて倒木が多い難コースです。 特に林道に出るまでの最終部分は、道のない急斜面を這い上ることになります。 決して一般向きのハイキングコースではありません。

5.地図のダウンロード

◆「光明山全体図」 
◆「山頂付近図」(山頂付近の拡大図)
  《国土地理院承認番号=申請中》

※地図は容量が大きいPDFファイルです。下記の方法でダウンロードしてください

(1)上の「地図名」の上で右クリックする。
(2)出てきたドロップダウンリストから、「対象をファイルに保存」をクリック。
(3)「名前をつけて保存」ウィンドウが開くので「保存」をクリック
(このとき、地図が保存された場所を覚えておいてください)

※地図上の登山道は、実線と点線とで表現しています。道の区分は以下のようになります。

○実線の道(赤色実線と黒い縁取りのある緑色実線の道)は明確なハイキング道
○紺色の実線は林道歩きの部分
○赤色点線の道は不明瞭な箇所を含む道で道標や目印がありません。

●赤点線の道は不明瞭・道がない・急傾斜など、道迷いや事故の可能性が高く、これらの道を歩くにはレベルの高い読図力や、コンパス・GPSなどを使いこなす技術、体力・精神力など、総合的な力量が必要です。 準備もなしに気軽に歩ける道ではありません。

この地図では道の通称を「起点となっている集落名」に統一してつけてあります。 これは同じ名称で呼ばれる道が複数存在していたので、道を明確に区別するため、今回この地図では道の呼称をこのようにつけています。

道の難易度や詳細など、ご不明な点があれば、どうぞご連絡ください。 また、地図を実際に使っていただいて気がついた事などをお報せください。使いづらいところはだんだん改良していきたいと思っています。

◆◇連絡先;近藤饒(こんどう・ゆたか)◇◆

よみがえれ秋葉古道の会世話人・浜北勤労者山岳会所属
メール;kondo620@ybb.ne.jp(送信には@を小文字にしてください)
電話;053−587−1640


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